監督が怒ってはいけない大会から波及する静かな革命——益子直美が日本のスポーツ界に突きつける「勝利の真価」
益子 直美氏が提唱し、草の根から広がった「監督が怒ってはいけないバレーボール大会」が始まってから10年余り。体罰や暴言、過度な勝利至上主義が根深く残っていた日本のスポーツ界は今、大きな転換点を迎えている。かつてバレーボール女子日本代表の主力として脚光を浴び、コート上で絶大な人気を誇った彼女が投げかけた一石は、単なるイベントの枠を超え、部活動の地域移行やアスリートのウェルビーイング向上を議論する上で欠かせない思想的柱となった。2026年の現在、その波紋は教育現場や企業組織のリーダーシップ論にまで波及している。
かつてのように「愛の鞭」という言葉で暴力や怒声が正当化された時代は終わった。しかし、現場からは依然として「怒らずにどうやって勝たせるのか」「甘やかしではないか」という戸惑いの声も聞こえてくる。そんな根強い疑問に対して、スポーツコメンテーターであり日本自転車競技連盟理事も務める益子 直美氏は、自らの苦い原体験と長年の実践データを携えて真っ向から問いを返し続けている。勝利を目指すことと、成長の喜びを感じることは決して反比例しない。その言葉の真意はどこにあるのだろうか。
「指導者が怒ってはいけない」運動が拓いた、新しいスポーツ観

「怒鳴られないコートで、子どもたちが生き生きとパスを回している」——この光景は一昔前なら異例中の異例だった。怒声と緊張感が支配する体育館で育った昭和・平成の世代にとって、ミスをしても怒られない環境など想像もつかなかったからだ。しかし今日、この取り組みは全国の多種多様な競技へ浸透し、ジュニア世代のスポーツ環境を劇的に変えつつある。
この大会の最大の特徴は、指導者が選手に対して怒りや威圧的な態度を見せた場合、グリーンカードならぬ「怒ってはいけないペナルティ」として、周囲から笑顔のリマインドが入る仕組みにある。失敗を恐れて指導者の顔色ばかり伺っていた子どもたちが、自ら声を掛け合い、作戦を話し合い始める。スポーツ本来の楽しさと自律的な思考を取り戻すプロセスが、数字や戦績以上の価値として実を結んでいるのだ。
コート上の悲鳴と挫折――元日本代表スターが背負ったトラウマ

1980年代後半から90年代にかけて、富士フイルムや日本代表の絶対的エースとして熱狂的な支持を集めた彼女の裏には、表舞台の華やかさとは裏腹の深い傷が存在していた。「コートに立つのが恐怖だった」「ミスをすれば練習後に厳しい叱責が待っている」——そんなプレッシャーに押しつぶされ、バレーボールそのものが嫌いになりかけた経験が、彼女の活動の原点にある。
引退後、多くの元トップアスリートが指導者の道に進む中で、彼女は長らく直接的な現場指導から距離を置いた。自らが受けた指導スタイルを次の世代に引き継ぎたくないという強い葛藤があったからだ。「指導者自身が過去のトラウマや成功体験に縛られている」という構造的問題に気づいたとき、彼女自身のトラウマは「次の世代を救うための原動力」へと変容した。
理不尽なスパルタからの脱却:2026年、現場で起きている地殻変動

2026年現在、少子化が進む日本において「スポーツを始める・続ける」ことのハードルは年々上がっている。その中で、ハラスメント体質を残す旧来のチームは次々と部員不足に追い込まれ、逆に「怒らない・対話を重視する」方針を打ち出すクラブに子どもたちが集まるという明確な淘汰が始まった。理不尽なスパルタ教育は、もはや時代の要求にそぐわない。
スポーツ庁や各競技団体もコンプライアンス遵守のガイドラインを強化しているが、理念だけでは現場は変わらない。重要視されるのは「怒りを我慢する」ことではなく、「アンガーマネジメントと具体的なフィードバックの手法」を指導者が学ぶことだ。指導法をロジカルにアップデートする研修が各地で普及し、根性論に頼らない育成ノウハウが蓄積され始めている。
自転車ロードレースから学んだ「仲間と笑い合う」挑戦の価値
バレーボールの第一線を退いた後、彼女が出会ったのが自転車ロードレースの世界だった。夫である元プロロードレーサーの山本雅道氏とともにペダルを漕ぎ、風を切って走る中で、彼女は「自己記録の更新」や「仲間と景色を楽しむこと」の純粋な喜びに目覚める。誰かに強要されるのではなく、自分の意思で限界に挑む感覚。それこそが、彼女が長年探していたスポーツの本来の姿だった。
この経験は、彼女のスポーツ観をさらに多角的なものへと進化させた。単一の競技に没頭して燃え尽きるのではなく、生涯にわたって身体を動かす楽しさを享受すること。日本自転車競技連盟(JCF)の理事としても、普及活動や安全啓発を通じて、老若男女がスポーツを暮らしに取り入れるライフスタイルの提案を続けている。
体罰・暴言ゼロへの壁:旧態依然とした指導現場との葛藤
もっとも、改革がすべて順風満帆に進んでいるわけではない。古くからの強豪校や一部の地域コミュニティでは、「厳しく指導しなければ全国大会では勝てない」「怒られて這い上がる強さが必要だ」という懐疑的な見解も根強く残る。勝利という数字の結果を求められる指導者たちが、プレッシャーから従来の怒声へと逆戻りしてしまうケースもゼロではない。
こうした反論に対し、彼女は「勝利を否定しているのではない」と繰り返し主張する。問われているのは「勝利のプロセス」であり、恐怖政治によって指示待ち人間を作るのか、それとも自立した意思を持つプレーヤーを育てるのかという選択だ。一時的な戦果のために子どもの尊厳を傷つける指導は、長期的には日本のスポーツ文化そのものを衰退させるという強い危機感がそこにはある。
子どもたちの「自走力」を育む、次世代型コミュニティの未来
怒られない環境で育った子どもたちは、自ら問いを立て、チーム内で課題を解決する「自走力」を身につけ始める。これはスポーツの現場にとどまらず、将来彼らが社会に出た際に求められる最も重要な非認知能力でもある。変化が激しく予測不能な現代社会において、指示を待つだけの姿勢は最大のリスクとなるからだ。
コートの傍らで見守る大人たちが変われば、子どもたちの笑顔と主体性が戻ってくる。元トップアスリートとしての知名度と個人の葛藤を抱えながら歩んできた挑戦は、いまや日本の育成文化を根底から塗り替えつつある。スポーツが真の意味で人々の心を豊かにする社会の実現に向けて、彼女が蒔いた種は着実に大きな芽を伸ばしている。 (出典: 益子 直美(Yahoo!ニュース))